22世紀型ライフスタイルデザイン

22世紀型のライフスタイルについて書いていきます。

コンセプトで自分を見失う

こんにちは、空海です。

コオロギなど、虫の鳴き声が山に響き渡り、季節の移り変わりを感じますね。

最近は、誰もいない夜中に、薄い霧の立ち込めている山道を散歩するのにハマっています。

とても幻想的で、ひっそりとした陰のパワーから自然の畏怖を感じて、闇に包まれ、自然に飲まれ、聞こえるのは虫の声、そして月光。陰の甘美を堪能できる季節です。

さて、今日はコンセプトについて自分の考えを書こうと思います。

セルフブランディングや事業の立ち上げ、新商品など新しく何か始める時にはコンセプトが大事だとよく言われております。

例えば、「30年間自家製味噌にこだわった究極の味噌ラーメン」と「普通の醤油ラーメン」では、前者の方が食べたいと思う人が多いでしょう。

コンセプトを作ると他者と差別化できるメリットがあるのです。

またコンセプトが、ユーザーのあったらいいな、を形にしたものであれば、そこにファンが生まれ、ニーズが高いものであればあるほど、人気も出るでしょう。

つまり、良いコンセプトほど社会に受け入れられて、事業としても成功しやすくなるのです。

コンセプトが究極的に良くて、かつ、そのコンセプトを認知してもらえれば、その企画は例えどんな障害があっても、前に進む力を持ちます。

まるでトルネードのように周りを巻き込み、突き進めます。

逆に言うと、そこそこのコンセプトの企画を実現させて、成功させるのはとても難しいです。

周りから社交辞令的な反応しか得られず、数年も経てば、ほとんどダメになってしまいます。

コンセプトの重要性を理解して頂いたところで、コンセプトの罠について話を進めたいと思います。

昨今、ブログやSNS、Youtuberなどセルフブランディングが注目を集めております。

そこでもやはり、コンセプトが非常に重要になってきていて、コンセプトをしっかりと決めてセルフブランディングしている人はやはり成功している人が多いです。

そして成功している人ほど、露出もしていますし、そういった人を見ていると自分もコンセプトを持って生きないといけない気持ちになりがちです。

しかし、人は、ある時は本に夢中になったり、ある時は、食べ物に夢中になったり、人と遊ぶのが楽しかったり、車で一人ドライブするのが好きだったりと、元々多様な性格を持っています。

人は一人一人、元々多様なのです。

将棋好きがストリート系ファッションを好きになってもいいですし、ヒップホッパーが和服を着ていても本来いいのです。

しかし、世間では、ヒップホップが好きな人は、ストーリート系ファッションを着ると思われているし、将棋好きは、和服が似合うと思われています。

そして、コンセプトがあると成功する、それが今の世の中です。

そしてそれこそがコンセプトに潜む罠なのです。

そういう世の中にいると、元々多様な自分を偽るようになり、複雑で多様な自分の性格を、分かりやすく、コンセプシャルなものにしようとします。

社会からは、コンセプトがあるほうが分かりやすく受け入れられますから、より一層自分を薄っぺらなものにしていきます。

そしていつからか、コンセプトに沿った生き方しかできなくなります。

自分を見失うのです。

社会から見れば、受け入れられて、カテゴライズされて、そこに一定の安心感があるかもしれません。

しかしそれは、本来の自分の一つの側面が受け入れられているだけだということに気づかないといけません。

本来の自分はもっとカオスであり、変幻自在で、何者でもなく、何者にもなれるのです。まさに宇宙そのものなのです。

それと、過去から今の自分を判断することも多いです。

30年間味噌に力を入れているから、31年目も味噌ラーメンをやろう、伝統を守ろうと思いがちです。

過去は過去であり、今この瞬間、醤油ラーメンのほうが好きであれば、今日から醤油ラーメンを作り始めたって良いのです。

大事なのは、今の自分の感情に正直であることだと思います。

そういった自覚の上で、社会との対話をはかる有効な手段として、コンセプトを扱っていかないと、自分を見失いかねません。

コンセプトは、人に伝えるために、シンプルにしているのであって、自分は複雑怪奇な性格で大丈夫です。

あなたの感覚は、オリジナルであり、本物なのです。

いまここ、オリジナルでいきましょう。

所有欲を捨てる

こんにちは、空海です。

今日は久しぶりの快晴でしたので家族で近くのナショナルパークに出かけて、のんびり過ごしておりました。

家族で自然と触れ合い、動物と触れ合うことで、「いま在る」という実感を得ることができ、意識を「今ここ」に集中できました。

ただ午後になって、締め切りが近い仕事のことが気になり始めました。

仕事のことを考えはじめると、ほとんどの人がそうでしょうが、今を楽しむことはできません。

心の中は不安や期待が入り交じり、来週起こるであろうことや、遠い未来のことを考えることもあります。当然心は、時間の概念に縛られはじめ、今この瞬間を感じることができなくなります。自分が考えるライフスタイルの、基本であり奥義は「梵我一如」。宇宙原理と個人を支配する原理「ブラフマン」と「アートマン」が同一である状態を最高と考えておりますから、「今在る」状態を感じられないのは、幸福追求の観点からも良い状態ではないと言えます。

 

簡単に言うと、上の空状態であり、妻から怒られ、今を楽しめない状態になりました。

仕事に限らず、自分が所有しているあらゆるものは、自分を「今在る」状態から遠ざけると考えています。

お金、仕事、車、家、家族など、自分が年齢を重ねるごとに、所有するものは多くなっていきます。所有するものが多くなればなるほど、色々なところに気が向き、考えなければならない事も増えていきます。

するといつの間にか、今を実感できなくなり、過去を悔やんだり、将来に不安や期待を望むようになり、空虚な毎日が訪れます。

何をやっていてもどこか心が虚ろになり、所有している物が、自分の行動を決めていくようになります。

大半の人は、お金が生活する上で必要で、そのために仕事をしなければならなくなります。子供を養い、妻のご機嫌を取り、家のローンを払い、車の保険を払い、壊れた物を修理したり、新しい物を運んだり、出たゴミを分別したり、とにかく、所有するものが増えれば増えるほど、自分の意識は、今ここに集中できなくなります。

自分は自然の多い環境に住んでいるので、虫の鳴き声、川のせせらぎ、四季の移ろいなどを感じることができ、ある程度の物に囲まれていても、意識を「今」に戻すことができておりますが、都心に住んでいる人であれば、物の渦にかき回されて、自分が誰なのかも分からなくなってしまう人も多いでしょう。

 
 お金も持たず、仕事も持たず、車も持たず、家も持たず、家族も持たないで居られるかというと、そうできる人も稀でしょうが、なるべく所有することを避け、意識を今に向けることが、豊かなライフスタイルを送る上で大事なことだと考えております。

 

昔の歌人西行良寛芭蕉などは草庵を結び、自然と共生し、持たないことで内面世界を充実させ、豊かな生活を送っておりました。

その辺りの思想は、以下の本も参考になると思いますのでご覧になってみてください。

 

清貧の思想 (文春文庫)

清貧の思想 (文春文庫)

 

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はじめまして

皆様、はじめまして、空海と申します。

このブログは、私が良いと思う、22世紀型のライフスタイルを発表する場です。

まず自己紹介させて頂きます。

 

私は35歳の酉年です。現在、東京都八王子市高尾の山の中、築300年あまりの古民家に住んでいます。

仕事は家でほとんど行い、週に1、2回都心に出かけます。

仕事内容は、新規事業の立ち上げを行なっております。メディアの制作から資金調達まで、新しい現実を作るために必要なことは全て行ないます。

会社は、子会社を含めると3社経営していて、必要であれば会社の立ちあげも行ないます。

小さな子供がいるので、育児にも興味があり、現在保育園事業も行なっております。

年齢を重ねるごとに自然が好きになり、オーガニックに目覚め、スピリチュアルに目覚め、人の豊さを探求するようになりました。


人の幸せとは何か?

これは、人類なら皆感じる大きな命題だと思います。

自分はこの命題を、気づけば10代の頃から考えていた気がします。

 

 

 

 

幸せについて考えていくうちに、「死」というものが「幸せ」とセットで頭の中にひらめくようになりました。

はじめ、「死」は恐ろしいものでした。「死」について考えると、思考を黒く塗りつぶすように正常な思考ができない自分に気づくことができました。

つまり、自分が死ぬことを、本気で考えられなくなりました。


死ぬということを、どこかごまかす自分に気づきました。

ごまかして生きる自分に気づき、本当の自分の心が分からなくなったのです。

本当の自分の心が分からなくなると同時に、日本の教育システムや社会環境が思考の中心を奪うようになりました。

気づけば自分の体は、進路を決めろと言われる年齢になっていました。

やりたい事を探すように言われ、やりたい事を自分で決めたかのように思わせ、社会の労働と報酬の世界に入る事で、安心と安全を「買う」世界へ飛び出しました。

この世界では、全てのものを「お金」を使って「買う」のが当たり前でした。

車や家、食べ物、水、現在では、友達や恋人、家族まで買えるのです。

「買う」ことで「安心」「安全」「時間」「快楽」「喜び」などを得られるのです。そしていつの間にか、自分の感情をお金を出して「買う」ようになりました。

お金をたくさん払うと、たくさん笑えると思うようになりました。

お金をたくさん払うと「豊か」になると思うようになりました。

そして「豊か」になるために、たくさんの時間を使って、「働く」ようになったのです。

「働く」と働くことが楽しくなりました。「働く」と誰かが喜んでくれるからです。

誰かが喜んでくれることが自分の「喜び」となりました。

しかし働くことで自分の「時間」はほとんど失われていったのです。

労働でお金と喜びを得ながら、お金で安全や感情を買う世界に長く住んでいると、ふと気づくことが出てきました。

世界中に苦しんでいる人がたくさんいることに気づきました。

病気、食糧難、戦争、自殺などでたくさんの人が死んでいることに気づきました。

「死」というものを世界中の人と「共感」することで、「共鳴」が起こりました。

「共鳴」するということが、自分の能力として備わっていることに気づいたのです。

「共鳴」する能力を使うと、たくさんの人と繋がれるようになりました。

「共鳴」した人たちとは「共感」することもでき、多くの学びを今も受けています。

そして、現在のバビロンシステムから目覚めることができました。

映画マトリックスのネオのように。このシステムの歪みが見えてきました。

歪みはあらゆるところにあり、社会問題として、人々を苦しめていました。

東日本大震災が起こり、安全の象徴であった原発が崩壊したことをきっかけに、たくさんの人が目覚めることになりました。

お金でなくても、自分の感情をしっかり意識することができるようになりました。

インターネットやシェアリングといった、新しいテクノロジーを使うことで、安心や安全も少しのお金で買えるようになりました。

AI、人工知能技術は、働く人を減らし、知識のある人、ない人の差をも埋めていっています。

そして現在、労働せず、あらゆる感情を楽しめて、少しのお金で安心、安全に暮らせる、そんな世の中が生まれようとしています。

そして、自分の仲間たちの間では、相手を思いやる気持ち、愛の感情を鍛えるワークショップなどが盛んに行なわれています。


改めて「死」について考えましょう。

「死」と同時に確定しているものがもう一つあります。

それは「今」です。

自分たちには、「今」と「死」しかないのです。

アップル元CEOのスティーブジョブズも毎朝、鏡を見て、「自分は今日死ぬ」と思って仕事をしていたと言います。

今、ここにいる。瞑想の基本でもありますが、「いまここ感」を実感できるようになり、今必要なライフスタイル、ワークスタイルが見えてきました。

これからこのブログで紹介するのは、そんな私の今ここです。

どうぞよろしくお願い致します。